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わたしが欲しいという思考

ナルシスかって気もするのだけれど

十二、三才の頃からわたしはわたしが恋人だったら……という妄想をしていた。
その妄想はいまも時々してしまう。
わたしと一緒にお酒を飲んでみたい。
バーのカウンターでふたり同じ格好で。
わたしと同じ経験をしてはいるが、私とイコールでは無い。
わたしの深層意識で感じた事もわたしと話すことで浮き彫りになり、二人で「そーだよ、そういうことだったんだ!」などと気づきが得られる頼りになる分身。

わたしの気持ちはわたしがいちばんわかってくれるだろう。
知識のレベルは同じでも、脳をデュアルで使ってわたしが気がつかないことに気づいてくれるのでは無いか。
前から欲しいと言っていたPAB、パーソナルアシストブレインのような分身。

身体の相性もいいはずだ。
そんなときの妄想は相手のわたしが女性であったり、わたしが女性で、相手のわたしが男性だったり。
ふたりとも男性だったりすることもある。
自分の身体を知り尽くしているわたし達のことだ。
どれだけの快感があるのだろう。

以前のブログで書いた、自分のアニマを抱いた夢はこれまでの異性では感じたことの無い新鮮さと自分に返ってくるような強烈な快感を感じていた。
男性の性欲が無くなっているのにアニマのわたしはわたしに女性的な快感を呼び起こさせた。
トランス途中の体調や心の変化に、脳が作り出した調整されたわたしを抱いたのではないかと考えている。

わたしが愛してみたいと思っているもうひとりの私は、既にわたしの中にいる。
たぶん生まれたときからずっと。

自我はどこで作られているのかという哲学的命題があるが、もしかしたら自我はひとつでは無いのかも知れない。
実際の所、自我は思考する部分である脳から生まれるとはおもう。
そして一つでは無いと考える理由として、脳が左右に分かれた構造になっていることに怪しさを感じるのだ。

脳梁を失った人間が二人の意識を持つようになった話もあることだし。
右目と左目で見るものが、同じようでありながら角度の差異によって少しだけ違う情報を得る。
脳は基本的なその情報を脳梁のインターフェースを通じてひとつに統合して認識する。
実際左右の脳はそれぞれの感覚を元にそれぞれの発達をしてきているはずだ。
わたしの中にいるもうひとりのわたしは統合前の生情報によって存在している。

やはりわたしは二人居ると考えても良いのではないかと思うのである。
分裂症になったわけじゃないけどね。
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