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インフルで休んで・・

水曜に早退して帰り際近所の医者に行った。
まだ発熱はしていなかったので迅速検査やっても陰性だったと思う。
受付で「インフルです」と自己申告して検査無しでタミフル出して貰った。
ゾフルーザは「あるにはあるけど・・」と歯切れが悪かったのでどうやらタミフルの在庫をどうにかしたいらしいのを察してやった。
院内処方だったからね。
その三日前から奥さんがインフルになって、それに気づかず残り物食べたりしてたせいで移ったね。
久しぶりの高熱のあのけだるさを味わいたくてワクワクしてたんだけど、水曜の夜に39度近くの熱が出て30分おきに目が覚めて苦しんだ。
昔より熱が堪えるのかもな。
翌日の午後には平熱になって、金曜には会社行けるレベル。
休んだけど。
そんな熱にうなされてたくさん夢を見た。
特に覚えているのが、林間学校みたいなのに参加していて、周りの人が知ってる人と顔がわからない人。
思えばtwitterの仲間達だ。
それぞれと話して、話が繋がって、また違う人と話して、ヒロとはアイス食べたような。
なんか楽しい会だった。
他には自分の胸を気にする夢。
風呂に入らなきゃならなかったり
薄いシャツ一枚で人前に出なきゃならなかったり
わたしはすごく気にしていたようだった。
得てして夢の中の胸はまあまあ大きいものだ。

木金は布団から出ないでずっとごろごろ。
そんときに夢を反芻したりして色々考えていた。

やっぱりわたしは性別わからんのかも

立場上オトコ。心もオトコ。
友達が女子会とか言ってるととても居心地が悪い
身体が女性化してゆくのを見ているわたしはとても嬉しく、自分が好きになってくる。
でもそれって男目線だったんじゃないか……とか
女性の服装や化粧、言葉遣いを「真似る」ことはとっても抵抗がある。
女装もやりたくない。
でも綺麗で居たい。
中途半場な自意識はMtF仲間との会話にもなかなか入りづらいと感じさせる。
MtXにもなってない
おこがましいわ
わたしはなんなんだろう

と色々考えて、やっぱりわたしは中途半端なオトコ→人間→生き物→考えるもの と抽象化して観ることにした。
そんな病欠週間
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別に落ちてるわけじゃない

いつもと同じ量のウイスキーダブルを二杯。
いつもと変わらない酔いかたなんだけど
今日はなんだか気持ちが違う
このトシになると死への哲学を自分なりに理解して備えるようになるのかな。
そんな考えを書いておきたいと思ったから鬱な話なので読まない方がいい傾向の人もいると思うよ


なんかあと少し。
疲れてはいるけど子供達が成人して就職してくれたらわたしは解放されるのかな
過去の嫌だったことは今の自分の行動が塗り替えた。
たくさんの変なことをして人とは違ったことをして自分なりの哲学も出来たと思う。
子供達は娘だからどんな男だったら食いっぱぐれないとか、オンナの利点をどう使うべきかとか教えたかったけど。
肉親の言葉って聞かないものだから他人からわたしの考えが遠回しにいつか伝わればうれしいけどな。

MtFの人たちはメンヘラが多いけど、それは心の位置の問題で個々それぞれ見えている世界が違うからそんなひともいるなーぐらいの差しか無いのかもしれない。
わたしにだって希死念慮は中学時代からあった。
死にたいけど自分一人では死なないというスジだけはあったから他殺の方法を考えるだけで耐えられた。

いまのトシになって飄々と生きるにもなかなか人と人との関係性から自分を確立できなくなりかけている。
でも今なら、今のわたしはかなり自分の人生に満足している。
これから来る高齢化社会の一員になるのは闇しか感じられない。
生きられるだけがんばって仕事をして自分を保つのには下積みが足りなかった気もしている。
いまなら死んでも悔いは無いかもしれないなって思う。

娘らが独り立ち出来るようになったらほんとになにもストッパーが無くなりそうなんだ。
娘達の結婚式なんて見たくないし。
それこそ取られちゃった感で落ち込むに違いないから。

ただ、自死だけは絶対に踏み切れない
自分の生きてきた価値を自分でジャッジして、閉じるだけの根拠が無い。
死ぬにはもったいない。
死んで悲しむ人も居るけれど、人は最終的には死ぬ。
コンピュータと同じく、全身麻酔と同じく、スイッチが切れるだけのことだ。
ミクロで見たら悲しい現象だけれどマクロ的には取るに足らない一つの細胞が停止するレベルのことだ。
死んだ先に天国も地獄も無い。
宇宙の秘密を知ることも無い。
霊の世界を実感することも無い。
ただ終わる。
不慮の死を望んでいる自分が居る
バルス!ってね

わたしが欲しいという思考

ナルシスかって気もするのだけれど

十二、三才の頃からわたしはわたしが恋人だったら……という妄想をしていた。
その妄想はいまも時々してしまう。
わたしと一緒にお酒を飲んでみたい。
バーのカウンターでふたり同じ格好で。
わたしと同じ経験をしてはいるが、私とイコールでは無い。
わたしの深層意識で感じた事もわたしと話すことで浮き彫りになり、二人で「そーだよ、そういうことだったんだ!」などと気づきが得られる頼りになる分身。

わたしの気持ちはわたしがいちばんわかってくれるだろう。
知識のレベルは同じでも、脳をデュアルで使ってわたしが気がつかないことに気づいてくれるのでは無いか。
前から欲しいと言っていたPAB、パーソナルアシストブレインのような分身。

身体の相性もいいはずだ。
そんなときの妄想は相手のわたしが女性であったり、わたしが女性で、相手のわたしが男性だったり。
ふたりとも男性だったりすることもある。
自分の身体を知り尽くしているわたし達のことだ。
どれだけの快感があるのだろう。

以前のブログで書いた、自分のアニマを抱いた夢はこれまでの異性では感じたことの無い新鮮さと自分に返ってくるような強烈な快感を感じていた。
男性の性欲が無くなっているのにアニマのわたしはわたしに女性的な快感を呼び起こさせた。
トランス途中の体調や心の変化に、脳が作り出した調整されたわたしを抱いたのではないかと考えている。

わたしが愛してみたいと思っているもうひとりの私は、既にわたしの中にいる。
たぶん生まれたときからずっと。

自我はどこで作られているのかという哲学的命題があるが、もしかしたら自我はひとつでは無いのかも知れない。
実際の所、自我は思考する部分である脳から生まれるとはおもう。
そして一つでは無いと考える理由として、脳が左右に分かれた構造になっていることに怪しさを感じるのだ。

脳梁を失った人間が二人の意識を持つようになった話もあることだし。
右目と左目で見るものが、同じようでありながら角度の差異によって少しだけ違う情報を得る。
脳は基本的なその情報を脳梁のインターフェースを通じてひとつに統合して認識する。
実際左右の脳はそれぞれの感覚を元にそれぞれの発達をしてきているはずだ。
わたしの中にいるもうひとりのわたしは統合前の生情報によって存在している。

やはりわたしは二人居ると考えても良いのではないかと思うのである。
分裂症になったわけじゃないけどね。

思い出してみた過去

わたしは美容師のインターンが10人ぐらい居る老舗の美容院で生まれた。
母の姉がそこに嫁いで妹であった母はそこでお見合いをして父は1時間自転車でそこに通い、わたしを作った。
ご主人のおじさんは波平のようにいつも和服を着て怒ってばかりだったが、わたしにはとても優しかった。
インターンの女性たちは私の子守を口実にしてサボろうとして、いつもひっぱりだこ。
近所のデパートに連れて行ってもらっていた。
半袖白ワイシャツに半ズボン、白いタイツにハンチングをかぶった写真が残っている。
アトムの乗り物に乗っていたw
先に独立した姉の美容院にわたしを連れて行ったとき、わたしは狂ったように泣いたそうだ。
家の主人はいたく怒って、絶対あの家に連れて行くなと言ったらしい。
その美容院もインターンが5人いて、男除けの神棚があったらしい。
わたしは何を見たのだろうか。
幼稚園に入るとき、家を出て一軒家に引っ越した。
わたしは「はやく帰ろうよ」と言って両親までホームシックにさせたらしい。
近所には同い年の女の子も居ていつも引っ張り回されて泣かされていた。
結婚の約束までさせられたけど泣いて嫌がったと思う。
小学校に入ってからも女の子達に遊びに誘われた。
野球など男の子同士の遊びが苦手だったわたしは気にせずつきあっていたが、いつも最後には「帰さない」と女の子が言い出して泣きながら帰ってきてだんだんと女の子達と距離を置くようになった。
ということをいま風呂で思い出した。
いろいろと今につながるきっかけがあったような気がする。
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「昔の自分に手紙を書くなら」のこと

「昔の自分に一度だけ手紙が送れるとしたら」って、まとめサイトのタイトルを見かけた。
わたしが自分に教えたいこと、変えたい過去は何だろう。
若すぎる自分に正論を伝えて行動を変えさせることなんか出来ないだろうと思う。
若さは可能性や無数の分岐点に溢れているから未来の自分なんて無限の可能性のひとつでしかなく、自分の選択に間違いなんか無いと思うだろう。未来の自分が後悔しているとしたらそれは自分じゃないって思うだろう。
未来から届いた手紙はきっと夢見た未来ではないはずだ。

今のわたしは何を伝えるんだろうか。
結婚相手を間違えた?
あの奥さんだったから自分が頑張らなきゃって張り切って今がある。
高校ぐらいでトランス開始したら?
女性になれるはずなんか無いと信じていたあの時代、まず疑う。本気にしてもネットも無くトランスしようがなかった。
転職のタイミングは?
すべて流れがあった。
この大きな判断を要する選択肢がたぶん、変えられない。

逆にこの中の一つでも変わるならいまのわたしはわたしじゃないパラレルワールドのひとりになるだろう。
過去を変えれば違う世界への分岐に行っちゃうだけで、いまのわたしは変えられない過去をずっと引きずる。
これからの未来を知らされぬまま、ずっと状況判断し選択していくしかない。

過去への手紙というものは無意味だと言えるね。

いまこうしていきているのも、死なないための本能が右か左かの二者択一を膨大な回数繰り返し、その判断は正しかったことを証明している。
死んでないからね

本能に加えて、高校ぐらいから今と同じ知識を持っていたら正解率は益々高くなり今いる環境での成功者になれただろう。
知識や、経験があればもっと良い選択をして思いを実現させる事ができる。
失敗の記憶や、命に関わる記憶は最優先で脳の記憶域に格納され、2度と同じ間違いをしなかったり、死に直面した時の回避技術に使われる。
知識と本能がモニタしないのは見えざる病氣ぐらいかな。

今から得る知識や経験はこれからの行動に大きく役立たせる事ができないだろう。体力や行動力が必要だからだ。

わかってたのに!なんでやらなかったんだという後悔はなまじ知識があるおかげで増えそうな気がする。
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